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文化財
伝統芸能
初午会
【01】 初午会
所在地:岡寺(高市郡明日香村大字岡)
開催日:2月または旧3月の初午の日
奈良県高市郡明日香村大字岡、岡寺の行事。
2月または、旧3月(3月)の初午の日には、厄除け祈願の修法が行われ、男女とも厄年の人をはじめ大勢の人が岡寺に参る。豊浦では初午をマエゼックといって、ヨゴミダンゴ(蓬団子)を作りあんつけして、よそムラへ配った。親類を呼び、カマスゴ、ブリで祝った。稲荷を祭っているカイトでも赤飯を炊いて三角結びをにぎり、油揚げ、椎茸、スルメ、山のものなどを供えてお祭りしたという。

 

観月会
【02】 観月会
所在地:当初は、甘樫丘展望台で行われた
開催日:毎年中秋の名月の夜
毎年、中秋の名月の夜の行われている行事である。
この観月会は、昔時をしのびながら、明日香村の東多武峯の山端から出る中秋の名月を鑑賞するもので、北は北海道から南は九州まで、全国から飛鳥・万葉文学愛好家が集まる。当日は犬養孝大阪大学名誉教授の万葉歌の朗詠、飛鳥の響保存会の人たちによる国の無形文化財指定の二弦琴演奏、五常楽会の雅楽演奏を耳にしながらの観月であたかも1300年前の飛鳥時代、万葉の世界に溶け込み、昔時の主人公のような気分を味わうことが出来る。明日香路の保存の重要性、文化財保護顕彰に一層の認識を深めてもらうための行事でもある。


古墳祭
【03】 古墳祭
所在地:石舞台古墳(高市郡明日香村島の庄)
開催日:毎年11月
奈良県高市郡明日香村島の庄・特別史跡石舞台古墳で、毎年11月に村内古墳墓慰霊法要が行われる。日本の政治の中心の古都、仏教伝来の地である飛鳥の里には、村内各所に多くの寺院遺跡があり、中でも特別史跡石舞台古墳を始め数百に上る古墳墓が存在している。しかし、これらの古墳墓に葬られた人は、今は、はかなき無縁者であり、弔う人もなく荒廃したままになっており、これらの古墳墓被葬者の霊の追善法要を営み、霊を慰めると共に墳墓を大切に保存するために行われている。


綱掛祭

 

綱掛祭

【04】 綱掛祭
所在地:高市郡明日香村大字稲淵・栢森の両大字
開催日:---
飛鳥川を上流にさかのぼって、島ノ庄の石舞台の西方を500メートルほど東南に行くと、祝戸を過ぎて稲淵の集落の入口にさしかかります。ここに、飛鳥川をまたいで長い注連縄が張ってあり、そのまんなかに、長さ1メートル余り、直径10センチメートルあまりの太い縄を巻いて作った棒状のものがぶら下がっており、良く見ると男性のシンボルを表していることが分かります。 一方、これよりさらに2キロメートルほど上流にさかのぼった栢森集落の入口に、やはり飛鳥川をまたいで同じように注連縄が張ってあり、その真中に半球形の直径50~60センチメートルもあろうかと思われる、藁の傘状のものがぶら下がっています。女性のシンボルを表したもので、下流の男性のそれに相対しています。下流の稲淵では雄綱とよび、上流の栢森では雌綱とよんでいます。起源ははっきりとしませんが、古くから今に伝わる正月行事の一つです縄の掛け替えを地元ではツナカケとよんでいて、毎年旧正月11日を"初仕事・初田打ち"の日として、田畑に出てくわを入れ、豊作を祈って新しく作り、掛け替えています。では、実際どのようにして作られるのでしょうか。毎年これをつくる日には、稲淵では各戸主が神女橋(昔は内宮)に集まり、栢森では大字の中央の川向かいの古木のもとに集まります。6人がかりで作り上げると、神主が来て祭りをして、御幣を男根の上に刺し、勧請縄で川をはさんでつり渡します。朝の八時から午後三時ごろまでかかるといわれています。男根をくくるひもは平年は12本、うるう年は13本と決められています。昔はつるすまでに新婚の家へこの男根を担いで、お祝いに行く風習もありました。掛け終わると神主がお払いをし、神饌を備えます。白米1升、神酒1升、串さしみかん、この供え物はたく串に幣を備え、みかんをさした1メートル程の長さの割竹で、神所橋にならべたてます。竹串以外の神饌は全部、祭典が終了した後、神主が三度に分けて川へ流してしまいます。これは悪神に与えて、その後悪神が村へ立ち寄らないようにするためです。栢森の女性の形のものの内部には、夏みかん1個を竹でさしいれ、それを柱連縄で巻いています。網かけ場に1メートル大の福石があり、これにも柱連縄を張り、この石の上を川渡しして、つり上げます。中央へ女性のシンボル、その両側へ、2メートルほど離して榊と御幣をつり、さらに2.5メートルの縄を垂らします。つり上がると全体が柱連縄の形となります。ご幣は1メートル大の篠竹に幣を垂らし、女性のシンボルにさします。新鮮は神酒とみかんで、1.5メートルほどの竹を横に渡します。その横の渡し棒へ、一辺に4個ずつ、合計16個のみかんを刺します。これを福石のところへ供えて祭りをします。このみかんは流さずに子供達に与えます。午後4時ごろ、縄や供え物が出来上がると、少し下った川すじの"フクイシ"とよばれている磐座に、飛鳥川をまたぐように掛け渡し、龍福寺の住職によってしめやかに供養が行われます。こうしてお縄掛けが終わりますが、下流の雄綱が神式で、上流の雌綱は仏式で行われているのが面白いところです。言うまでもなく、どちらも飛鳥川の風物詩の一つとなっています。


盟神探湯

【05】 盟神探湯
所在地:甘橿巫神社(高市郡明日香村豊浦)
開催日:---
奈良県高市郡明日香村豊浦 甘橿巫神社で行われている儀式。
盟神探湯とは、古代の呪術的裁判方で、宗教・法律・道徳が未分化で、呪術的観念が支配的な文化段階において正邪を判別するために用いられた方法である。多民族的にも類似の風習が見られるが、わが国の実例は允恭天皇紀に「一の氏蕃息りて、更に万姓と為れり、其の実を知り難し。故、諸の氏姓の人等、沐浴斎戒して、盟神探湯せよ、とのたまふ。即ち味橿丘の辞禍戸岬に、探湯瓮を釜に入れて煮沸し、中に手を入れて焼け爛れざるものは正しいとする裁判である。この釜は平城遷都後、甘橿の地哀運にむかったので神社が現在地に移遷されたときに釜も共に運ばれたが弘仁(810年)以降いつのまにか失われてしまった。現在は、豊浦、雷の両大字が氏市となり例祭には故事にちなんで"ササ"を用いて盟神探湯の儀が行われている。


南無天踊り(なもで踊り)

【06】 南無天踊り(なもで踊り)
所在地:---
開催日:---
その名前は予想以上に古く出来て居たことらしいことに驚かされたし、神に捧げる祈りの言葉の一部から取られた神聖なものであることも判った。日本人は、廿十年前まで食料、ことに農作物の確保に必死だった。ところがあすか辺から北、大和の中心部は、有名な少雨地帯である。あすかの人々が神に祈るときの筆頭は水のことだったろう。稲作がひろまった二千年前ころからというものは、あちこちに豪族や政治家が生まれ、たがいに競争するように成り、勝ち残ろうとする有力者ほど熱心に、農民の先頭に立って神だのみをしたに違いない。いろいろなまじないを使ったりその道の先進地だった朝鮮、中国などの儀式やおまつりまで取り入れたりして。30年余り隋・唐に留学した南淵請安が帰国後住まったのは稲淵とみられる。その5年後に大化の改新となるが、改新三年前皇極女帝があすか川の川上で行われた雨乞い儀式も同じ重要度のことかも知れない。従って請安時代からあすかの雨乞いは、精神上でも形式上でも重大な転換をとげたという考え方が出て来る。

 

蹴鞠

【07】 蹴鞠
所在地:---
開催日:---
蹴鞠の始まりは、中国の古代(前403~前221)にさかのぼり、時の支配者、黄帝により戦士の鍛錬を目的に創り出されたとされています。そして、日本へは時を経て飛鳥時代に伝承したと考えられます。父、用明天皇の死を悲しんでいた聖徳太子を慰めるために朝臣の一人が送ったのが、日本で最初の鞠と考えられています。このことは室町中期の百科事典「あい嚢鈔(あいのうしょう)」に記されています。また、大化の改新のきっかけとなった中大兄皇子と中臣鎌足の出会いが、法興寺(飛鳥寺)で行われた蹴鞠の会であったこともよく知られています。京都の「蹴鞠保存会」や四国の「金刀比羅宮」、「信濃乃蹴鞠の会」は、平安時代から室町時代にかけて完成された作法を重んじる公家蹴鞠の復元と保存に取り組んでおられます。一方、私たちは飛鳥時代に伝来したと考えられる蹴鞠の復元に取り組み、これを「飛鳥蹴鞠」と呼ぶことにしました。

 

おんだ祭

【08】 おんだ祭
所在地:飛鳥坐神社(高市郡明日香村飛鳥)
開催日:毎年2月の第1日曜
奈良県高市郡明日香村に鎮座する飛鳥坐神社で、毎年2月の第一日曜日に行われる。三河の「てんてこ祭」、尾張の「田県祭」、大和江包の「網かけ祭」とともに西日本における四大性神事のうち、一番露骨なのはこの「おんだ祭」で、まさに日本一の奇祭として折り紙をつけても良い。この祭、正しくは緒田植神事といい、いつ頃、誰の発案で始められたものか、縁起も由来も、年代もわからない。ただ年々慣例として飛鳥の農民が、遠い昔から継続している行事である。当日は、天狗と翁の面をかぶった村の若人がササラ(竹筒の先を割ったもの)を振り回して村中を暴れまわる悪魔除けの行事から始まり、太鼓を合図に諸々の行事が展開される。まず、一番太鼓によって式は始まり、二番太鼓までに展開されるのが農耕行事である。田を鋤く動作や種まき、田植えの式があり祭典第一段階を終わる。やがて三番太鼓を合図にこの「おんだ祭」のクライマックスとも言うべき夫婦円満の優艶な道行が行われる。黒紋付に赤い蹴出しもなまめかしいお多福と、チョンマゲのボテかつらに印袢纏という異様な姿の天狗が登場し、夫婦愛和合の様を実演する。この式を[種つけ]という。「種つけ」が終わると、二人は立ち上がって懐中から紙を取り出し、股間を拭いてその紙を観衆に撒布する。この紙は「ふくの紙」と称し、首尾よく手に入れた人はよほどの幸運だといわれ、この紙を持ち帰りその晩閨房で使用すると子宝が得られると言い伝えられている。これで、古俗味豊かなこの日の祭事をめでたく終わる。由来、世に隠れ、人に省みられないこうした行事は、山間僻地の農山村にほど数多く残っているが、殊にこれが、上代史に栄えた飛鳥の地だけに、民俗学的に見ても興味深い。そして、豊作不作は農民にとって死活の問題であり、五穀豊穣、子孫繁栄を祈るこうした農民行司には土地の人の真摯な姿が見られる。

 

おんだ祭

【09】 明日香の響保存会の八雲琴
所在地:大字稲淵
開催日:---
八雲琴は「一名出雲琴」と言い、二条の糸を張るために「二弦琴」とも言われます。 その起源は遠く神話の時代まで遡り、古事記に記されている須佐之男命の所持していた「天の詔琴」こそその起源であると伝えられています。現在の八雲琴は、江戸の後期文政の頃、伊予の中山琴主(幼名元徳)が琴の霊感を得て創始し、全国に広めたものです。八雲琴演奏者として国の無形文化財の指定を受けられていた飛鳥寺長老、山本震琴師は近年遷化されましたが、先生は生涯長きにわたり八雲琴を保存、伝承される傍ら、多くの新曲も発表され、後継者の育成に御尽瘁下さいました。その八雲琴は、古事記、万葉集をはじめ、八代集その他近世に至る格調ある歌謡を演奏するにふさわしい我が国特有の貴重な弦楽器でもあります。特に明日香はこれら古典に縁の深い土地柄でもあり、「飛鳥の古琴」「明日香の響」として古代の心を今時に伝えてくれています。平成21年度2月9日に開催されました明日香村文化財保護委員会におきまして、明日香の響き保存会の八雲琴(震琴流)が明日香村無形文化財に承認され、平成21年2月10日付けで明日香村無形文化財に指定されました。

 

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