明日香村

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遺跡の年代のきめ方(その3)

これまで、明日香をさぐるでは、遺跡の年代の決め方(その1、その2)として、2回にわたり、遺跡の年代がどのようにしてわかるのかを、書いてきました。今回は、その3回目になります。

これまでに明日香をさぐるでは、遺跡から出土する木簡などに年号が書かれているものがあり、そういったいわゆる紀年木簡が、土器などと一緒に出土した場合、その土器が捨てられた年代が、この木簡の年代に近い時期のものである可能性が高いこと、そういった土器などの新古を検討することによって相対的な年代を組み立てている方法を行っているといったことを書いてきました。年代の決め方にはこの他にもいくつかの方法があります。特に飛鳥の地域における年代の決め方として、特徴的な方法があることを紹介してみたいと思います。

飛鳥には、日本における最初の本格的な仏教寺院である飛鳥寺があります。飛鳥寺は、当時仏教の導入に積極的であった蘇我馬子の発願により建立が開始されたことは夙に知られています。1956年から奈良国立文化財研究所が発掘調査を開始して以来、発掘調査によって様々なことが明らかにされてきました。

例えば、塔を中心として東・西・北の三方に金堂を配置し、中門から発する回廊がこれらを囲む特異な伽藍配置であることがわかり、この伽藍配置は日本に例がなく、高句麗の清岩里廃寺(現平壌市)と酷似していることが明らかとなりました。また、東西両金堂の基壇は、二段であり、下段にも小さな礎石を置いて柱を立てるという特異な建物であったことも明らかにされました。こういった建築は日本には無く、百済の定林寺(現扶余郡)などに類例がみられます。

また、創建に使われた瓦は、その文様や製作技術から、百済の瓦と深い関係があったこともわかってきています。これは、百済から派遣された瓦博士が飛鳥寺の瓦生産に深く関わっていたと評価されています。

このような特徴をもつ飛鳥寺は、文献上、588年に建立が開始されたと考えられています。

また、飛鳥寺の継続的な発掘調査は、その下層にも、いくつかの遺物が眠っていることを教えてくれました。飛鳥寺建立以前の土器などが少しずつ出土するようになったのです。

例えば、寺を建立するために整地をしたとします。この整地した土に土器が混ざっていたとした場合、その土器は、寺の建立された時よりも新しいものであることはありません。なぜなら、簡単に言うならば、そのお寺によってこれらの土器が密封された状態になるからです。ここに年代推定の一つの手がかりがつかめたことになります。

これら、整地された土の中から出土した土器は、年代の下限を示しています。こういった土器は、数は少ないけれども、徐々にその数を増やしつつあります。例えば、豊浦寺下層の土器、飛鳥寺西回廊の土器、飛鳥寺南方石敷広場下層の土器などです。

こういった土器の検討によって、どの資料がどの年代を示しているのかを探る作業は今現在も継続的に行われています。このような作業は地味ですが、非常に重要で、今後も年代を決めるための作業を継続的に行っていく必要があります。

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