明日香村

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2005年3月12日開催現地説明会
はじめに

島庄遺跡は明日香村大字島庄に所在します。『日本書紀』には「飛鳥河の傍に家せり。乃ち庭の中に小なる嶋を池の中に興く。故、時の人、囁大臣と日ふ。」とあります。この「大臣」は、蘇我馬子であると考えられており「飛鳥河の傍に家せり」とさわた邸宅が、島庄付近にあったのではないかということが早くから推定されてきました。また、蘇我氏が滅亡した後には官有地となり、草壁皇子の「嶋宮」も同じ場所にあったと考えられます。さらに、奈良時代まで官によって維持管理されていたことなどから喜藤方面へ抜けるルートとしてこの「嶋」の地域が重要視されていたことがわかります。

島庄遺跡は、これまで奈良県立橿原考古学研究所が20数次にわたり発捉調査を行い、縄文時代から中世までの複合遺跡であることがわかっています。飛鳥時代の遺構では、方形池・石組暗渠・曲溝・小池・掘立柱建物等がみつかっています。

明日香村教育委員会では、島庄遺跡の範囲確認調査として平成15年度から発掘調査を行っています。これまでに7世紀代の建物群を検出しており、遺跡が広範囲に重複していることが明らかになってきました。

今回の調査は、2003-18次調査区の北側、南側で行い、それぞれを北地区、南地区と呼んでいます。調査面積は約520㎡です

主な遺構と出土遺物

北地区では、飛鳥時代の掘立柱建物を5棟、掘立柱塀を2条検出しました。南地区では、飛鳥時代の掘立柱建物を2棟倹出しました。

これらの建物群については、建物の方位、重凄関係から2つの群に分けられます。2003-18次調査の調査区内で四つに分けられた建物群のうち、一つは7世紀前半の時期が想定された建物(A群)で、方形弛と同じ方位になる遺構(建物15)です。もう一つは7世紀後半の時期が想定された建物(C群)で、北に対する振れが少ない遺構(建物14・16塀17)です。

さらに橿原考古学研究所の第20次調査でみつかった7世紀中頃の塀SA07と同じ方位の遺構(建物10・11・12・13)が新たにみつかりました(E群)。出土遺物にはこサヌカイト剥片、縄文土器、土師器、須恵器、瓦器などがあります。

まとめ

今回の調査では7世紀前半から後半の建物群を検出しました。

これらが蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」の時代と重なることから、それらとの関係が注目されるところです。 また方形池の南側に、7世紀全般にわたって建物群が広がりをもつことが明らかになりました。

しかし建物がどのような配置になっていたのかや、その性格については課題も残っています。今後も周辺において発掘調査を継続して行う予定で、これらの解明が期待されます。

説明会風景

遺構周辺図

2003年度調査調査区全域
(北東より)

2004年度調査検出遺構(南から)

調査区(北地区)全景(南東から)

調査区(南地区)全景(南西から)

建物10 (北東から)

建物13 (北東から)

建物14(北から)

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