明日香村

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島庄遺跡調査続報2

今回は、明日香村教育委員会が行った島庄遺跡の範囲確認調査についてその成果を報告したいと思います。

はじめに

島庄遺跡は高市郡明日香村大字島庄に所在します。明日香村教育委員会では、平成15年から遺跡の 範囲確認調査を行っています。調査地は、石舞台古墳西側の駐車場で、北地区と南地区があり、調査面積は、あわせて480㎡になります。 調査期間 は2005年1月12日~3月22日でした。

『日本書紀』には蘇我馬子が「飛鳥河の傍に家せり」と記されていることから、島庄付近に邸宅があると推定されてきました。蘇我氏滅亡後、官有地となり、草壁皇子の「嶋宮」も同じ場所にあったと考えられています。

島庄遺跡は、これまで奈良県立橿原考古学研究所が30次にわたって発掘調査を行っており、縄文時代から中世までの複合遺跡であることがわかっています。これらの調査では、飛鳥時代の方形池・溝・掘立柱建物等がみつかっています。

明日香村教育委員会は、2003-18次調査として、石舞台古墳駐車場の西側を発掘し、7世紀代全般にわたって重複する建物群がみつかりました。これらの建物群は方位や重複関係から、大きく4つの群に分けられています。このうち調査地北東側にある方形池と同じ方位でみつかっている建物跡は、7世紀前半頃で、建物の方位がほぼ北を志向しているものは、7世紀後半頃と考えられています。2004-3次調査では駐車場東側北付近で塀をみつけており、遺構の広がりが広範囲にわたることが明らかになりました。

今回の調査は、飛鳥時代の建物群をみつけた調査区の北側、南側で行い、この調査区に一部かかるように調査区を設定しました。

主な検出遺構

北地区では、飛鳥時代の掘立柱建物5棟、塀2条をみつけました。また、南地区では、飛鳥時代の掘立柱建物2棟をみつけました。これらの建物群は、建物の方位、重複関係から4つのグループに分かれるようで、7世紀前半とされた建物と、7世紀後半とした建物とがあります。また、橿原考古学研究所の第20次調査でみつかった7世紀中頃の柵と同じ方位の建物が今回の調査区でもみつかり、同じ時期の建物である可能性があります。

ただし、今回みつけた建物群は前年度みつけた建物群とは若干の振れがあり、各建物群の中でも細分化される可能性を残します。建物は、柱掘形の大きさや想定される建物の規模など、いずれも前年度調査の建物を超えるものはありませんでした。

出土した遺物

出土遺物には、サヌカイト剥片、縄文土器、土師器、須恵器、瓦器などがあります。

まとめ

今回、方形池の南側で7世紀代全般にわたる建物群がみつかりました。これらは蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」の時代と重なっていることから、それらとの関係が注目されるところです。しかしながら建物がどういった配置をしていたのか、あるいはその性格などについて、課題も残っています。今後の調査によってこれらの解明が期待されます。

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