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島庄遺跡調査速報

今回は明日香村教育委員会で実施した島庄遺跡の範囲確認調査の成果について報告したいと思います。

島庄遺跡航空写真

方形池

(橿考研調査 東から)

堀立柱建物と石組溝

(橿考研調査 東から)

調査区全景

(北東から)

はじめに

島庄遺跡は嶋宮推定地一帯に広がる縄文時代以降の複合遺跡です。

島庄には『日本書紀』や『万葉集』の記述から蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」が存在したとされており、蘇我馬子の邸宅には池をもつ庭園があったことが知られています。蘇我氏の邸宅は本宗家滅亡後には官の没収地となったようで、壬申の乱の直前には天武天皇が吉野宮に行く途中立ち寄っています。嶋宮自体は奈良時代まで官によって維持・管理されており、その重要性が窺えます。

これらの施設があった「嶋(宮)」の範囲については『万葉集』に「橘の嶋宮」とあるように現在の島庄から飛鳥川を超えて東橘の範囲までの広範囲にわたっていたようで、そこでは両側に廊状の建物を伴う掘立柱建物などが検出されています。島庄遺跡の発掘調査は昭和47年度から橿原考古学研究所によって20数次にわたって行われており、飛鳥時代の遺構としては一辺約40mの方形池や石組暗渠・曲溝・川跡・小池・掘立柱建物等が検出されています。

明日香村教育委員会では平成16年1月から島庄遺跡の範囲確認調査を実施しており、今年度はその1年目にあたります。

主な遺構と出土遺物

調査の結果、飛鳥時代の掘立柱建物群を検出しました。これらの建物群については方位や重複関係等から4つの群に分けることができます。

 

A群 北から約30゜振れる遺構(建物1・2・3)

建物2(北東から)

 

B群 北から約50゜振れる遺構(建物4)

建物4(北東から)

 

建物3・4・7(南西から)

 

C群 北に対する振れがほぼない遺構
(建物5・6・7)

建物5(東から)

 

D群 北から約15゜振れる遺構(建物8・9)

各群に分けた建物群の年代については周辺部の調査成果から、A群は方形池と同じ方位で7世紀前半、B群は7世紀中頃と考えられます。C群は正方位に建てられたもので7世紀後半と推定されます。D群については今のところ同じ位をもった遺構は確認されておらず、年代については明らかではありません。またA群については建物1と建物2・3では振れが若干異なることから更に細分することができる可能性も考えられます。

出土遺物

出土遺物については縄文土器・土師器・須恵器・瓦器・陶磁器・瓦・石器などがあり、特に縄文土器(後期後半)やサヌカイトの剥片が多く出土しています。

島庄遺跡遺溝略測図

 

調査位置図

遺溝周辺図

時代区分

 

まとめ

今回の調査では方形池の南側で数次期にわたる建物群を検出することができました。これまでの調査ではまとまった建物群が検出されておらず島庄遺跡の中心がどこに存在するのか議論が行われてきました。今回、建物群が見つかったことでこの場所が島庄遺跡の中心部に近い施設であることが明らかとなってきました。

特に、A群とC群については柱穴が一辺1メートルもある大形建物で、その時期が7世紀前半と後半に推定されることから、蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や「嶋宮」の時代とも重なっており、その関連性が注目されます。

今後、更に周辺部の調査を予定しており、遺跡の全貌を解明していきたいと思います。

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