明日香村

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キトラ古墳発掘情報1

キトラ古墳の模式図

玄武 北「黒」

白虎 西「白」

青龍 東「青」

星宿(天井)・天体運行図

キトラ古墳調査概要1

キトラ古墳は、奈良県高市郡明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1に所在する二段築成の円墳です。直径は、上段が9.4m、テラス状下段が約14mで、高さ約3.3mです。1986年(S55)に行われたファイバースコープによる探査で墳丘内の石槨奥壁に玄武の壁画が確認されています。

 

今回は、墳丘の形態や規模を把握する目的で1997年9月19日から1998年2月10日まで調査を行いました。古墳は、中央の高まりの部分で周囲には、檜等が植林されており鬱蒼としていました。人が立っているあたりが今回範囲確認調査を行ったところです。

調査は、まず掘る場所を決定します。決定すると予定場所の草木を伐採して調査に入ります。掘るときは、土の色やかたさ等から判断して徐々に掘り下げて遺構を検出します。キトラ古墳では、上段(中央の人の前側)と、テラス状の下段(右側の人が立っている所)からなる二段築成の円墳と考えられます。掘っている途中で土の中から土師器や須恵器、瓦器等の遺物が少量出土しています。

次に築造行程について簡単に説明してみましょう。キトラ古墳は、丘陵の南側を幅20m高さ3~4mにわたって半円形に削っています。そして、削ったところに幅、深さ約40cmのV字形に溝を掘っていきます。写真の溝の中に石をつめて排水の便を良くしています。この暗渠は現在でも水を流す機能を果たしています。そして構内に石を詰めた後に基礎地業の版築(写真の石の上の部分)をします。版築は厚さ2~3cmを一層として積まれており、非常に固く締められています。これらの作業が第一次工程です。

 

次に基礎地業(写真の深い部分)の整地が終わると、墳丘を造る第二次工程に移ります。整地を終えた平坦面に直径約14mのテラス状の下段(上の部分)を造ります。これは麦わら帽子で言うとつばの部分にあたります。テラスも版築で造られており固くつき固められています。版築はお寺の基壇部分などでも使われる技法でこの時期の古墳では高松塚やマルコ山古墳でも版築が行われています。

第2次工程でテラス状の下段ができあがると上段部分を造る作業(第3次工程)になります。その際に、上段の裾の部分には厚さ4~5cm程の仕切り板をあてて円形に巡らし、直径約10mmの杭で固定します。(写真の二板状痕跡は斜状に縦の線・柱穴は円形の部分)そして板の内側と外側を版築で積み上げているようです。板の部分で復元すると直径約8.8mとなり唐尺にあてはめると約30尺になります。

これはキトラ古墳が厳密に設計に基づいて造られたことが伺えます。

調査前の風景

調査風景

暗渠排水溝の断面

版築とテラス面

板状痕跡と柱穴

キトラ古墳調査概要2

内部探査は、平成10年3月5日(木)から6日(金)の2日間にかけて行ないました。石郭内の壁面には、玄武や白虎、青龍、星宿の極彩色の壁画が描かれていました。玄武は奥壁で確認しました。14年前にも確認されていましたが、今回はより鮮明に映し出されました。

玄武は北の方角を守る霊獣です。形は、「Q]の字を横にしたかっこうです。高松塚古墳の玄武は、亀と蛇の顔や甲羅はなくなっていましたが、キトラ古墳の玄武は、その形がはっきりと確認できます。

白虎は西を守る霊獣です。絵はちょうど天井石の継目の下にあたり、中央には漏水のため茶色く変色しています。白虎は、目と口を大きく開き首も太く、顔はやさしい表情をしています。両手足はふんばり、しっぽは長くまっすぐ上に立っており、高松塚古墳のものに比べると力強く躍動的に描かれています。

星宿は天井の中央に描かれていました。北極五星と北斗七星を中心に参宿(オリオン)などが描かれています。星をあらわす点を赤線でつなぎ、そのまわりには赤道や黄道も表現されており現代の天文学のル-ツとなるもので、東アジア最古の天文図ともいわれています。

今回のキトラ古墳の調査は、飛鳥における終末期古墳の実像にせまりうるたくさんの貴重なデ-タを得ることができました。今後これらのデ-タは、数多くの謎をとく鍵となるでしょう。

キトラ古墳調査概要3

所在

奈良県高市郡明日香村大字阿部山字ウエヤマ136-1

調査期間

1977年9月19日~1998年2月10日(範囲確認調査:103㎡)

1998年3月 5日~1998年3月 6日(内部探査)

墳丘

2段築造の円墳である。墳丘の直径13.5m、高さ約3m(上段は9.4m、高さ2.4m。下段は直径13m、高さ60~90cm。)

墳丘の築造手順を復元すると、3段階で行われたものと理解できる。

第1段階

東から西へのびる丘陵の南斜面を幅約20m、高さ3~4mにわたり半円形に削り出す。その面を幅・深さともに約40cmのU字形に掘り、小石を敷き、配水施設とする。そして全体を平らにするため、版築による基礎地業をしている。

第2段階

平らな面に、石槨の床石を置き、周囲を版築で叩きしめる。これが墳丘下段となる。

第3段階

下段周囲から2m内側から上段を版築する。その際、上段裾にあたる箇所の少し内側に厚さ4~5cmの枠板をあて、直径約10cmの杭で固定し、その内外を2~3cmで版築を積み上げる。

石槨探査経過

探査は昭和58年11月7日、墳丘外から電磁波・音波の調査を行い、石槨内部をファイバースコープで観察したところ、漆喰塗りの奥壁で玄武像を捕らえたが、まもなく機器の故障で探査は中止した。昭和63年、電磁波探査、墳丘の盛土の少ないことが判明。平成10年3月5日超小型カメラで探査、玄武像を捕らえるが、配線の故障で中断。よく6日探査を継続。同日、密閉。

石 槨

奥北壁は1枚、側壁の東西は各3枚、天井は4枚の石材で構成している。床は分からない。南北に長い石槨の天井は、マルコ山古墳のように家形石棺の蓋の内部のごとく4面周囲を傾斜面とする。石槨の石材は、切石の表面に黒っぽい斑点が見られることから、凝灰岩であろう。石の表面を漆喰で薄く平らに塗っている。漆喰の薄利は奥壁左下、東壁の奥下、中央下、西壁奥下、天井でも北斜面、南の中央等で認める。調査に先立つ石室内の温度は、11度、湿度は93パーセント。

壁 画

奥壁の中央で高さは、床より3分の2の位置から上に玄武を描く。亀の尾を東とした構図で、亀首を東、蛇頭を西に相対し威嚇する。東壁の中央は、天井の石の目地より濾水で褐色に汚れる。汚れの南端で青竜の舌先の朱色を認める。西壁の中央に北向きの白虎を墨書する。天井の周囲の傾斜面から平坦面にかけて、青竜、白虎の真上日像、月像の輪郭と横線を重ねた霞み(雲)を描く。

天井の中心に天文図がある。4重の円を墨線で描き、朱線でなぞる。中心は北極星の天極、2重目と3重目は赤道と公道を示し、天界の外周内にぎっしり星座をちりばめる。星は、円形に切り抜く箔を朱線で結ぶが、多くは箔がはがれた痕跡を残す。

特 徴

2段構築の円墳。上段を枠板痕跡で復元すると8.8mで唐尺(29.5cm)の約30尺に相当し、下段は45尺となり、厳密な設計にもとづいて築造していた。石槨の探査は、非破壊で行った。四神像・日月像・天文図・を備えた四神塚である。

白虎像は、高松塚古墳の図像と反対の石室奥(北)向きである。玄武・白虎像は高松塚古墳の四神と細部が異なり、力強い運筆で描かれ、高松塚古墳とは違いがある。天文図は、高松塚古墳とは異なり、より現実に近い。世界最古の天文図である。

※キトラの名称について・・・周囲の字名の「北浦」が転じて「キトラ」となった。

調査位置

概念図

石槨探査

壁画

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