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世界遺産 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 登録を目指して

提案のコンセプト


「飛鳥・藤原」は、奈良盆地の東南に位置する丘陵に囲まれた飛鳥、その北側の香具山、耳成山、畝傍山に囲まれた藤原からなり、明日香村、桜井市、橿原市にわたっている。

592年に推古天皇が飛鳥に豊浦宮を開いてから、710年に藤原宮から平城宮に遷都するまでの間の、いわゆる飛鳥時代に多くの天皇が宮を置いた地域である。

「飛鳥・藤原」は、日本の古代政治の中枢で、律令国家もこの地を基点に誕生し、その形成から確立までの過程を解明できる古代都市空間である。当時、ここには天皇の宮殿や皇子の宮、そして大陸からの知識・技術を取り入れて建設された諸寺院の伽藍が聳えていた。また、飛鳥時代後半には律令国家の体制の基礎固めとなる都城として中国の都に学んだ藤原京が建設され、本格的な古代国家が始動した。

このように「飛鳥・藤原」では東アジア・東南アジアの諸外国との交流の中で国家の体制を整えていったことが、建造物や古墳などの構築物にとどまらず、諸外国の人々を迎え入れた寺院、迎賓館や庭園から出土する遺物にも認められる。またこの地域には諸外国の技術を受容した先進的文物を制作した工房等が存在した。

この時代には律令国家の根幹をなす国家儀礼・官僚・身分・税などの制度の完成、そして日本の経済制度に大きくかかわる貨幣の鋳造がおこなわれる。また、律令国家体制の確立は、人々の死後世界にも影響し、身分秩序体系が墓(古墳)の立地、形状、規模、内部構造に導入されている。

飛鳥時代は、我が国初の歌謡を集めた万葉集、初めての歴史書・正史にあたる「古事記」・「日本書紀」の編纂がされた時期でもあり、飛鳥・白鳳文化として花開き、次の「古都奈良」を中心とした天平文化へと受け継がれ、昇華する。このように「飛鳥・藤原」の地は古代日本の首都であり、現在に至る我々の生活習慣の礎となっている。

都が「飛鳥・藤原」の地を去った後、多くの寺院が残されたが、平安時代の終わりにはこれらの寺院は衰退していくことになる。飛鳥・白鳳文化に育まれた宮殿や寺院、庭園、工房などは時を通して水田や里山として埋没し、現在、地下に良好な遺構として存在する。

万葉歌が読まれた飛鳥時代の風土や石造物は時間を超えて現在にも受け継がれ、目のあたりにすることができる。特に大和三山は、万葉集や古今和歌集に多数詠まれ、その眺望は日本を代表する歴史的景観を有している。


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