遺跡

遺跡(いせき)とは、(むかし)人々(ひとびと)生活(せいかつ)(あと)(のこ)されている場所(ばしょ)()います。遺跡(いせき)(まえ)()をとじれば、飛鳥時代(あすかじだい)にタイムスリップできるかもしれません。

 

水落遺跡

 

日本書紀(にほんしょき)』の「皇太子(こうたいし)(はじ)めて漏剋(ろうこく)(つく)り、(たみ)をして(とき)()らしむ。」の記述(きじゅつ)どおり、漏剋(ろうこく)(そな)えた楼閣状(ろうかくじょう)建物遺跡(たてものいせき)です。この皇太子(こうたいし)とは、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)のことです。大陸(たいりく)(すす)んだ制度(せいど)()()れるのに熱心(ねっしん)であった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、文物(ぶんぶつ)輸入(ゆにゅう)についても同様(どうよう)で、当時(とうじ)としては画期的(かっきてき)といえるこの施設(しせつ)(つく)ったと想像(そうぞう)されます。飛鳥資料館(あすかしりょうかん)には水落遺跡(みずおちいせき)模型(もけい)展示(てんじ)されています。

 

伝板蓋宮跡

 

皇極天皇(こうぎょくてんのう)宮殿跡(きゅうでんあと)乙巳(いっし)(へん)(大化改新(たいかのかいしん))の舞台(ぶたい)となった場所(ばしょ)
継続的(けいぞくてき)発掘調査(はっくつちょうさ)(おこな)われ、石敷(いしぶき)広場(ひろば)大井戸跡(おおいどあと)出土(しゅつど)しています。
(おなじ)場所(ばしょ)で、宮殿(きゅうでん)遺構(いこう)数層(すうそう)重複(じゅうふく)があり、上層(じょうそう)天武天皇(てんむてんのう)飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)可能性(かのうせい)が強くなっています。

 

飛鳥池工房遺跡

 

飛鳥寺(あすかでら)東南(とうなん)谷間(たにま)発見(はっけん)された飛鳥時代(あすかじだい)総合工房(そうごうこうぼう)。ガラス製品(せいひん)金・銀・銅製品(きん・ぎん・どうせいひん)などを制作(せいさく)していたことが(はん)(めい)しているほか、数千点(すうせんてん)にも(およ)木簡(もっかん)出土(しゅつど)しています。また、ここで富本銭(ふほんせん)鋳造(ちゅうぞう)されていたことも判明(はんめい)しています。富本銭(ふほんせん)和同開珎(わどうかいちん)よりも(ふる)最古(さいこ)(ちょ)造銭(ぞうせん)です。
万葉文化館(まんようぶんかかん) では飛鳥池工房遺跡復原遺構(あすかいけこうぼういせきふくげんいこう)(炉跡群復原展示(ろあとぐんふくげんてんじ))のほか、富本銭(ふほんせん)をはじめとした出土品(しゅつどひん)紹介(しょうかい)しています。

 

飛鳥京絵図

 

飛鳥京(あすかきょう)人々(ひとびと)のくらしや、建物(たてもの)規模(きぼ)がわかるよう、絵図(えず)再現(さいげん)した地図(ちず)飛鳥京絵図(あすかきょうえず)」が販売(はんばい)されています!(200円)
(くわ)しくは、以下(いか)のいずれかの連絡先(れんらくさき)までお()()わせ下さい。


(財) 明日香村地域振興公社 ( あすかむらちいきしんこうこうしゃ )
電話(でんわ) :0744-54-4577

飛鳥(あすか)びとの(やかた)
電話(でんわ) :0744-54-3624

 

これらの他

 

大官大寺跡(だいかんだいじあと)豊浦寺跡(とゆらでらあと)嶋宮跡(しまのみやあと)石神遺跡(いしがみいせき)飛鳥京(あすかきょう)苑池遺構(えんちいこう)などがあります。

 

 

 

 

 

このページのトップに戻る