飛鳥について

 

飛鳥時代の歴史とは

飛鳥時代(あすかじだい)(まえ)古墳時代(こふんじだい)は、王権(おうけん)をめぐっての(あらそ)いが(はげ)しく、それに(から)豪族(ごうぞく)(あいだ)でも利益(りえき)対立(たいりつ)深刻(しんこく)(あらそ)いが()えませんでした。とくに飛鳥時代(あすかじだい)(はい)直前(ちょくぜん)伝来(でんらい)した仏教(ぶっきょう)をめぐる蘇我氏(そがし)物部氏(もののべし)二大豪族間(にだいごうぞくかん)による(あらそ)いは(はげ)しいものでしたが、蘇我氏(そがし)勝利(しょうり)をもって豪族対立(ごうぞくたいりつ)時代(じだい)はようやく()わりを()げました。

そして聖徳太子(しょうとくたいし)登場(とうじょう)秩序(ちつじょ)ある国家(こっか)への(みち)(ひら)かれ、天皇中心(てんのうちゅうしん)律令国家(りつりょうこっか)(きず)かれていくことになります。聖徳太子(しょうとくたいし)飛鳥時代(あすかじだい)(はじ)まりとなった推古天皇(すいこてんのう)摂政(せっしょう)として政治(せいじ)(すべ)てをゆだねられていましたが、その政策(せいさく)仏教(ぶっきょう)基調(きちょう)とするとともに、冠位(かんい)を定め、憲法(けんぽう)制定(せいてい)し、皇室(こうしつ)権威(けんい)(たか)めるなど、天皇中心(てんのうちゅうしん)統一国家(とういつこっか)樹立(じゅりつ)することにありました。

また、壮大(そうだい)寺院(じいん)建立(こんりゅう)仏教(ぶっきょう)興隆(こうりゅう)(つと)めた結果(けっか)、この時代(じだい)建築(けんちく)彫刻(ちょうこく)技術(ぎじゅつ)飛躍的(ひやくてき)進歩(しんぽ)し、(かがや)くばかりの飛鳥文化(あすかぶんか)(つく)()すことになりました。

太子(たいし)没後(ぼつご)政治(せいじ)実権(じっけん)はまたもや蘇我氏(そがし)(もど)り、太子(たいし)()である山背大兄王(やましろのおおえのおう)自殺(じさつ)()いやられたりしましたが、結局(けっきょく)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)((のち)天智天皇(てんちてんのう))によって蘇我入鹿(そがのいるか)(たお)され、豪族(ごうぞく)政権介入(せいけんかいにゅう)にピリオドが()たれました。この事件(じけん)有名(ゆうめい)乙巳(いっし)(へん)(大化改新(たいかのかいしん))です。
この(あと)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)天皇(てんのう)即位(そくい)しましたが、皇位継承(こういけいしょう)をめぐる壬申(じんしん)(らん)がおこり、天武天皇(てんむてんのう)飛鳥(あすか)浄御原宮(きよみはらのみや)即位(そくい)することになりました。以降(いこう)持統天皇(じとうてんのう)文武天皇(もんむてんのう)へと(つづ)きますが、大宝律令(たいほうりつりょう)制定(せいてい)など、聖徳(しょうとく)太子(たいし)政治理念(せいじりねん)()()がれ、確立(かくりつ)していきました。

 

このページのトップに戻る