文化財
マルコ山古墳2
はじめに

マルコ山古墳は明日香村大字真弓に所在する終末期古墳です。
周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、そして束明神古墳が点在しています。
この場所は真弓崗と呼ばれた地域で飛鳥時代を演出した人々の奥津城として多くの古墳が築かれています。
マルコ山古墳もその一つで大正12年に刊行された『高市郡古墳誌』には「マルコ山塚」と記されています。


マルコ山古墳の本格的な調査は昭和52年から平成2年にかけて合計3回行われており、版築で築かれた墳丘の中央部分には凝灰岩で造られた横口式石槨の存在が確認されています。
内部からは漆塗木棺片や金銅製の飾り金具、そして人骨(30歳代の男性)などが出土しています。

 

今回の調査

今回(第四次)の調査は墳丘の西側部分の構造を把握するために範囲確認調査を実施しました。
その結果、墳丘裾とバラス敷きそして、暗渠排水溝を検出することができました。
次に概要についてみていきたいと思います。


墳丘については西側の裾部分を南北約7m分検出しました。
墳丘部分は岩盤を直線に削りだし途中、約6mの地点で屈曲して背面カットに並行するように北東方向へ伸びています。 下段の高さは裾から約80cmを測り、下部約40cmは岩盤でそれより上部は版築で構成されています。
下段テラスの幅は約1.5mあり、上面には拳大のバラスが施されています。
上段部分については下段裾から約2.7m東の地点で検出しています。


バラス敷きは東西約8m、南北6m分を確認し、更に調査区外に延びています。
バラス敷きは北側(山側)と南側では比高差が約50cmあり、南に傾斜するように施されています。石材には拳大の川原石が使用されており、中には吉野川流域で採れる結晶片岩や室生ダム周辺で採れる流紋岩質溶結凝灰岩(榛原石)なども含まれています。このバラス敷きの下層には暗渠排水溝が設けられています。
排水溝は岩盤を幅約30cm深さ約20cm掘り込み、その中に川原石を充填しています。
排水溝は背面カットの裾部に沿うように設けられており、過去の調査で確認された部分を含めると総長40m以上の長さを測ります。こういった排水施設は石のカラト古墳でも確認されています。石のカラト古墳では墳丘の西側に丘陵があり、そこからの水を防ぐために東側を開くようにコノ字形に排水溝を巡らせています。キトラ古墳でも墳丘西側に幅40cm、深さ70cmの暗渠排水溝があり、西側の丘陵からの水を防ぐために設けられたものと考えられます。
これは終末期古墳特有の山寄せの立地であることから丘陵からの水を排水することが重要課題であったことが窺えます。

 

まとめ

今回の調査では墳丘の西側で昭和52及び53年の調査で確認されていたバラスや暗渠排水溝の延長部分を検出することができました。
これらの施設は山側からくる水を防ぐためにバラスや暗渠排水溝を設けるなど入念な造りとなっています。
特にバラス敷きは排水機能だけではなく翼を広げたように広がっていることから装飾性を重視したものとなっており視覚的効果を高める働きがあったものと考えられます。
また墳丘形態がこれまで円墳と考えられていましたが墳丘裾部が直線でコーナー部分も検出できたことから多角形墳であることが明らかとなり、過去の調査成果を踏まえると対角長約24mの六角形墳の可能性が高まってきました。


今回、多角形墳であることが確認されたことで現在進められている高松塚古墳の墳丘調査でも新たな成果が期待され今後、飛鳥の終末期古墳を考える上で重要な資料となるでしょう。

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